浅井惠子プロフィール

浅井惠子 台湾台中市生まれ。
学者である祖父に漢方養生法、漢方食事法、漢方葯そして気の事を教わる。
その識気(神経、脳、意識の気)が作用して、諸々の事が動き出す。

浅井惠子の歩み
3才より水口政史氏に師事、洋舞、創作舞踊を習う。中学2年まで毎年行われる発表会で活躍する。
中学二年より全台湾運動会の背泳チャンピオンとなり、その座を5年間守り続ける。
オリンピック選手に選ばれる。
中国民族舞踊を学ぶ。
モダンダンスワンマンショーを開き、モダンバレエ、モダンダンス、ジャズダンス等の草分けとなる。
台湾国営の中央電影公司に招かれ水泳とダンスの特技を生かした映画に主演、専属女優となる。
優秀演技賞授賞、その為演劇、ダンス、スポーツ界に棲息する三棲スターと呼ばれる。
自分独特の芸術を持ちたいと願い、中国伝統の動きに目を向け中国民族舞踊を更に研究する。
京劇の長老,蘇盛軾氏に師事、京劇を学ぶ。
中国武術の先生方に太極拳、少林拳、単剣、双剣、棍術、槍術、鉄扇、気功を学ぶ。
京劇の動きと武術のテクニック、そしてモダンバレエの踊り方を融合して自分流「武術舞踊」を完成させ、主演映画と共に東南アジア諸外国の舞台挨拶に披露する。
来日後、テレビ映画「人間の条件」、その他テレビ番組に出演、前後して、東宝映画「東京の休日」、「社長繁盛記」等に出演。日劇、駒劇場の中国舞踊振付及び出演。
故東勇作氏に師事、クラシックバレエの個人指導を受ける。
東宝芸能学校中国舞踊講師となる。
1963年結婚。
1965年ハワイへ赴く。
1969年迄の間に”チェン・ホエ・ツー中国舞踊学校”を設立。
ハワイキクテレビ番組のプロデュースをする傍ら出演。
スペースモンキー(孫悟空・英語版)の舞台公演を開催。
リズムファッションショーの演出をし、地元ハワイの新聞などで好評を得る。
友人に中国健康法を教えたのを機に健美操(ケンビサイス)を考案する。
1969年台湾へ赴く。
本格的に気功の復習及び研究を再開する。
台北市空手道委員会主任委員(会長)就任。 台湾全島に空手道を広める。
1972年、台湾映画「天門陣」に主演。
1973年、長女を日本人としてしっかり教育させるため日本へ帰国する。
1973年より、台北市空手道委員会顧問就任。 1975年、テアトルアカデミー学院長となる。
1993年、劇団そら創立。 1993年、中華武術協会顧問となる。
1994年、「新西遊記」台湾慈善公演を行なう。
2000年7月、横浜ラポールシアターに於いて「日米身障者チャリティー公演 Dreams Come Turue」開催。

健美操との歩み
1969年、台北教育局(日本の文部省にあたる)に正式に台湾で最初の健美操教室を登録、草分けとなる。
台北市、挑園市、中歴市、新竹市、台南市、高雄市等に健美操教室を開き全台湾に広める。
テレビで健美操を解説する。
台湾大新聞社連合報に健美操連載を依頼され執筆する。
1974年、東京都秋川市にて健美操サークルを始める。
恵舞会創立。リズム操、ジャズ操を考案。
秋川、昭島、横浜、鴨居、戸部、上馬、松戸、練馬関町、千葉、等に健美操教室を開設。
1987年、気と健美(気、気法、養生法、健康法、漢方食事法、武術、美容)に関する定期月刊誌「フレッシュタイムズ」を発行。
1990年、健美操商標登録。
1992年、著書「気と漢方食事法」を出版。気法健美操と改める。
三越文化センター、気と漢方食事法、気法健美操の講師となる。
1997年、ドイツ国にて、全ドイツ空手道連盟の高段者、約500名に運動障害予防気法操と改善の気法快癒操を指導する。
1998年、著書「気法練丹操」出版。
人々の健康を願い、前進座劇場に於いて「気法練丹操出版記念&健美操30周年記念講演会」を開催。
1999年、横浜ラ・ポールにて「浅井惠子の気法操講演とデモンストレーションを再演。 ビデオ:「視覚気法と練丹操」を著作。